屋形船中継
お台場前を屋形船から生中継しました。
10分枠の中継。
当時は、技術的にアナログ電波末期の最前線でした。
今はこの中継電波はありません。
この電波は飛びやすく移動通信にむいている為、
電波行政、業界からの流れで、携帯電話の電波に行った
ようです。
余談ですが、
テレビ業界移動生中継電波は、デジタルとなり、
昔では考えられない(移動生中継電波にむかない)電波帯へ
と移行しました。
実際私も使用したことがあります。
話が長くなります。
先に進みます。
屋形船からガンダムがある辺りの建物に第一段目の電波
を発射。
そこから本社に向けてさらに第二段目の電波を発射します。(2段中継)
屋形船の中では天ぷらを揚げている様子なども撮影。
中継後にちゃっかり頂いちゃいました。
おいしかったと思う。
すいません忘れてしまいました。
無事全国に生中継出来ました。
と思いましたがしかし。。。
ここからが本題です。
中継が終わり社に戻った時に、無事終わったかと思って
いた中継は、どこかおかしかったのです。
社で中継を見ていた私と仲のいいベテランカメラマンが、
一瞬ピントが甘かった映像があると教えてくれたのです。
なんと!中継カメラマンが外れかかっていたレンズを
手で抑えながら、その状況下の中で、中継を台無し
にせずに必死に押さえながら撮影していたのです。
神業です!
その時にレンズを装着したVE(ビデオエンジニア)が
レンズの装着ネジを閉め忘れたのです。
私はVEを責めました。
今になってこの年になり、やりたくてやった訳ではなく、
無事に一瞬のピンボケだけで済んだので、良しにして
おけば良かった。
責めなきゃよかった。
何よりもそのVEに謝りたい。
すいませんでしたm(__)m
その時のカメラマンさんが優秀で神業で中継映像を繋ぎ、
テレビ画面に真っ黒な映像を出すこともなく
中継を台無しにすることもなく
無事終わったのです。
何度も書きますが、その時のVEさんすいませんでした。
私は中継を成功させる為に、総技術責任者TDとして、
頭がいっぱいだったのでしょう!
同様にもうひとつ船中継を行いました。
これもまた大変でした。
東京湾羽田沖合いである遊覧船を貸し切り、東京湾を移動
しながら船上から生中継しました。
中継ポイントを城南島にしての多段中継でした。
スタッフは15名位だったかな。
最終的に受信する本社センターでは、こちらにかかる
スタッフも配置してもらいました。
うまく行きました。
表面上は。。。
実はこの中継はちょうど新潟で大きな地震が発生した時
だったのでした。
刈羽原子力発電所が停止しました。
番組内は船上中継どころではありません。
プロデューサーから私に連絡がきました。
中継準備にかかった費用を聞かれました。
高額だった費用を即答した事を憶えています。
その後プロデューサー判断が下り、番組後半に予定通り
「入り中継」する事が出来ました。
プロデューサーに金額をお知らせしてからの、判断だった
ようです。
いくらだったか憶えてませんが、一般解釈からすると莫大
な金額なので、秘密としておきます。
次回は低圧絶縁抵抗のお話しです。
ではごきげんよう。