富士山・北岳の山岳中継(お山開き)

山岳中継もいろいろやりました。
これはかなりハードでした。

7月1日の富士山お山開き中継は過酷なものでした。

 

中継は準備段階の6月末から登ります。

中継機材はブルドーザーであげ、人は歩きで富士山五合目から登りました。

つづら折りの登山道がいく度も続き、同じ場所を歩いているような錯覚になりました。
それでも半袖・短パンで登る外人さんに越されて (体力の違いかな)、 山頂を目指しました。

酸素が薄く、息しても胸が抑えられるような感じでした。

 

山小屋はお山開き直前で、山小屋のスタッフは準備に忙しく我々の食事どころではありません。
ですから食事なしで仕事に入りました。

途中から食事(おにぎりだったと思う)はしましたが、
ひもじい思いをして、
山頂の標高、3776m(日本第一峰)で、空気が薄い中、
呼吸困難状態で仕事をしたのを憶えてます。

中継が無事終わり、山小屋で缶ビールを買って飲んだのを憶えてます。
かなり値段が高かったかな?

 

下山もブルドーザーに機材を載せ中継の我々は歩きで下山しました。
砂走(すなばしり)の近くを下山したのですが、ここでもいっぽ歩くと、砂地で1~2mくらい滑ってました。

下山のブルドーザーには、高山病にかかり、山小屋で働くはずだったスタッフが乗っていたようです。

酸欠の中、ビールで酔いがまわり、高山病なのか、酔ったのか
わからないまま下山しました。

共同局(一緒に仕事をした静岡県の放送局)は、
AD(アシスタントディレクター)が食事と懐中電灯を
自局スタッフに配っていたのを憶えています。
羨ましかった!

高校時代は山岳部でしたが富士山に登ったことはありませんでした。
しかし、その時のお山開きの仕事では下見を入れて3回も登りました。
その直後は、トラウマで富士山にはもう趣味でも登りたくないと思いましたが、
今はもう30年以上も前の事なので、登ってもいいかなと思ってます。

 

北岳中継、これも過酷でした。
やはり7月1日のお山開き中継でした。

中継機材はヘリで揚げ、人は歩きで広河原から登りました。
しかもノーヘルメットで。
今は、中継ではヘルメット着用が義務付けられといると思われます。
山頂から落ちた小石で大けがをしますからね。

風雨の中、全国放送で生中継しました。

その時、初めて、ブロッケン現象を見ました。

ブロッケン現象とは太陽などの光が背後から差し込み、
影の側にある雲粒や霧粒によって光が散乱され、
見る人の影の周りに、虹と似た光の輪となって現れる大気光学現象。

あれはとても幻想的で苦しい中でも感動で胸がいっぱいになりました。

また、山頂には(標高3193m(日本第二峰))、小さな小鳥が人を警戒する事なく、直ぐそばにいました。
周囲には可憐な花がたくさん咲いていたのを憶えています。

こちらも仕事で登ったので、苦しかったのがトラウマかな?その後趣味では登ってません。

 

富士山、北岳共に中継電源は、すべてバッテリー駆動です。
本社への伝送装置、カメラ、音声、照明、連絡用無線、連絡用電話がすべてバッテリーなのです。

この中継に備え、何度もテストを繰り返して臨みました。
持参した、携帯用発電機は高地の為(3000m級の山なので)、案の定不安定でNGでした。
山小屋の発電機も不安定でした。

これが山岳中継の難しいところでもありますが、チャレンジするやりがいでもありました。

 

去年、大山(神奈川県厚木市)に息子と登りました。

ここでは登り初めに、温泉まんじゅうを買って食べました。
出来たてアツアツでとても美味かった。
途中、雨降り神社にお参りして、登山の安全をお祈りして登りました。

久々に過酷でした。
否応がなしにも年齢を感じます。

途中まで一緒だった息子は、先に行ってしまいました。
私が山頂に遅れて着くと、息子は茶屋から高いコーラを買って美味そうに飲んでました。
これも羨ましかった!

ではまた。

前の記事

放送局での仕事

次の記事

謹賀新年